”シンプル”なデザインを、”フツー”のWEBサイトを

まさかこんなに久々にこの人の名前をニュースで見るとは思いませんでした。それも今回のような内容で。
僕は積極的にジャズを聴くわけではありません。聴いたら聴いたで「いいな」とは思いますが。知っているのも有名な人だけです。
それでも日野皓正という人のことは知っていましたし、日本でも有数のジャズミュージシャンという認識は持っています。

悪いことをしたら怒られるのは当然

すでに様々なメディアで取り上げられているようですし、このタイトルを見てこの記事を読んで下さっている方なら概要はご存知だと思いますので、詳細な説明は省きます。

で、いきなり僕なりの結論なのですが、これは中学生が悪いと思います。はっきり言って、なぜ日野皓正を非難する人がいるのかわかりません。
悪いことをしたら怒られる、怒られても止めなかったらもっと怒られる(=場合によっては今回のように引っぱたかれる)。当たり前のことです。

僕は世代的には、小学生、中学生のときは体罰も躾の一部という時代でした。こんなに問題になんかなりません。今では虐待になってしまう、廊下に立たせられるなんてのも日常茶飯事でした。(そういえばドラえもんでも、のび太が廊下に立つシーンって無くなりましたね。)もちろん、だからといってそれが現代でもそのまま通用するとは思っていないですし、その時代その時代の考え方、流れというのもあるでしょう。

ただ、僕の知る限り、親や先生を含め、当時僕のことを叱った大人達は理不尽な理由で怒ってはいませんでした(と思っています)。悪いことをしたから。周りに迷惑をかけたから。それはしてはいけないことなんだよ、と伝えているだけだったんだと思っています。まあ、自分が大人になったから理解できるんだと思いますが。

「出来ない」のではなく「やらない」から怒ったのでは?

話題になった中学生の子の演奏レベルはわかりませんが、ああいう場に出てくるわけですし、どうもニュースサイトなんかを見ていると、昔からドラムをやっていたそうで、普通以上のレベルにはあるのではないでしょうか。

となると、あの場で彼が行ったことは、「きちんと演奏出来なかった」のではなく、「きちんと演奏しなかった」ということになります。みんなで決めて、みんなで練習したことをわざと台無しにした、これに日野皓正は激怒したのではないでしょうか。あくまで憶測ですが。
単純に「出来なかった」だけであれば、公衆の面前であそこまで怒ったりはしないでしょう。「出来ない」と「(出来るのに)やらない」。結果は同じかも知れませんが、すごく大きな差があると思っています。

勘違いしたままで良いのか?

今回の件で色々見ていて興味深かったのは、とある元ジャズミュージシャンという方が、「逸脱するのがジャズであって、そういう技法もある。ジャズの精神を理解しているのはこの少年の方。日本人にはそれを理解出来ない。」という旨のブログを書いていました。

なるほど。きちんとジャズをやられている方からしたら、ジャズとはきっとそういうものなんでしょう。ただ、忘れてはいけないのは、この子がプロのジャズミュージシャンではなく、一般の中学生だということ。仮にミュージシャンだったとしても、その前に一人の人間であるということ。(実際、この子がどのように生計を立てているのかわかりませんし、もしかしたらすでにミュージシャンとして収入を得ているのかもしれません。ただ、プロなのであればこういった演奏会に出演するとは思えないですし、きっと普段は一般の中学生なんだと思います。)

周りの迷惑を考えないで、自分勝手にやっていきたいのであれば、自分で責任を取れるようになってからやってね、と。これに尽きると思いますが。

僕の会社でも、そういう風に勘違いした若い子が何人もいました。僕自身がWEBのデザイナーなので、必然的に同職種の人を指導することが多いのですが、なぜかクセの強い人が多く、「自分のやりたいデザインをさせてもらえない」「デザインのことはデザイナーの自分が一番わかっている」「自分のやり方が一番正しい」という風なことを言ってきます。

僕からしたら、よほどセンスとコネがあるデザイナーでなければ、会社に入っていない限りデザイナーとして生活するのは難しいです。今のご時世。そんなに自分のやりたいようにやりたいのであれば、そこに給料を払ってくれる会社を見つければいいだけの話だし、自分で会社を立ち上げればいいだけの話です。不満を言いながら仕事は適当にこなし、給料はしっかりもらう。糞食らえ、と思いますが。

一生、自分は好き勝手に出来ると勘違いさせておくのか、一瞬、恥ずかしい思いをさせて、ときには痛い思いをさせて気付かせるのか、どちらが本当の躾なんでしょうか。